数学を勉強していく上で重要な「微分・積分」の単元。
多くの学生たちを悩ませている単元のひとつです。
そもそも微分と積分はどうやって生まれたのか?いつ生まれたのか?気になりますよね。
今回は、微分積分がいつ生まれたのかについてまとめました。
過去の数学者たちが熱意を持って取り組んだ大きな分野についての逸話をご紹介します。
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微分積分は古代ギリシャに存在した!?
微分積分を作った人物というと、デカルトやパスカル、フェルマーといった数学者を思い浮かべる人が多いかもしれません。
16世紀に生きた天才数学者たちですが、実は、微分積分のおこりはもっと古いと言われています。
古代ギリシャの時代。
紀元前200年ほど前に、エウドクソス、アルキメデス、ユークリッドといった数学者たちがいて、その人たちが使っていた「取り尽くし法」という方法で、曲線面の体積や面積を求めることが出来ているのです。
この考え方が積分とほぼ同じことであるため、微分積分の始まりは古代ギリシャと言われています。
しかも、微分よりも先に積分が発見されていることがわかります。
当時、数学の最先端はギリシャでした。
そこからヨーロッパへ知識が伝達して、16世紀頃にはヨーロッパが数学の中心となっています。
微分積分の発展の歴史
- 紀元前200年頃:取り尽くし法という積分が発見され、利用される
- 16世紀頃:デカルト、パスカル、フェルマーなどによって微分積分が確立する
- 17世紀頃:ニュートン、ライプニッツによって微分積分がさらに発展
- その後、オイラーやガウスによって微分積分が整えられる
紀元前にすでに発見され利用されていた積分の分野ですが、実際に微分・積分として確立するのは16世紀頃です。
期間がかなり開いてしまっていますが、14世紀付近で、ヨーロッパでは多くの病気の流行、戦争、宗教をめぐっての戦いが多く、数学という学問や芸術はかなり遅れを取っていました。
インドの数学はヨーロッパよりも200年近く進んでいたと言われており、数学としての学問が安定してくるまではヨーロッパでは数学の発展がありませんでした。
時代が落ちついて、デカルトやパスカルたちが微分・積分を見つけ、証明に明け暮れていました。
この時代はまだ微分も積分も全く関連性のないふたつのものとして考えられていたのです。
ニュートンとライプニッツが、微分と積分に関係性があるということに気付いた人物です。
ふたりで競争したわけではなく、ドイツとイギリスで対立しながら学問の発展を競い合っていました。
概念として気付いたのはニュートンが先だったのですが、先に証明を紙に書いて公表したのがライプニッツなのです。
現代数学のインテグラルや、dy/dxと記載する方法を決めたのは、ライプニッツだと言われています。とにかく演算をより簡潔に描けるようにしたそうです。
微分積分を発展させた「もの」
微分積分の発展には「アラビア数字」がとても重要でした。
ヨーロッパでは、ローマ数字を使うのが一般的で、数学に関してもⅠ、Ⅱ、Ⅲ…というような、計算のしにくい文字が主流だったのです。
そのため、微分と積分が関係のあるものであると気付くことが出来なかったのかもしれませんね。
微分積分を整えた、ニュートンやライプニッツはとても優秀ですが、それよりもヨーロッパにアラビア数字(1,2,3…)を広めた人の功績が大きいでしょう。
「天才数学者フィボナッチは「能無し」というあだ名だった!?」の記事でも紹介していますが、アラビア数字を広めたのはフィボナッチという数学者です。
アラビア数字の発展がなければ、数学史はあと数百年の遅れが出ていた可能性があります。
フィボナッチが行った偉業のおかげで、ニュートンやライプニッツの功績がうまれたのです。
まとめ
今回は、微分積分がどのようにして発展したのかについてご紹介しました。
微分積分というとデカルトやライプニッツという印象がありますが、実は多くの数学者が関係していることがわかります。
16世紀頃でには郵便を使って、手紙のやり取りで数学の話をしながら、数学を発展させていた事例もあります。
時代が進むことによって、数学をより計算しやすいアラビア数字を導入したり、さらにそこから新たな発想・証明を行いながら数学が発展していったのです。
微分積分が見つかるまでにも大きな苦難があったはずで、現代の解析学には欠かせない分野となっています。
学生の頃に苦手だったひとも多いかもしれませんが、こうやって見てみると、微分積分ひとつでも多くの人が関わった重要な単元であったことがわかります。
今から少し勉強し直すのもいいかもしれませんね。
なんといっても「微分・積分」という言葉がかっこいいですから。
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