「有名な数学者は男性ばかり、女性はいないの?」
そうガッカリしている女性の皆さんに朗報です。
今回はロシアで初めて大学教授の地位を得た女性数学者、ソフィア・ヴァシーリエヴナ・コワレフスカに注目します。
愛称はソーニャ。
「女性だから」という理由で勉強・研究が難しい時代を生きましたが、それでも数学への熱意は冷めず、晩年はまわりから高く評価されていました。
そんな女性数学者ソーニャの生涯について確認してみましょう。
パスカルの再来
ソーニャは1850年にロシアに生まれ、幼い頃から数学に興味を持っていました。
きっかけは子ども部屋。
壁紙が足りなくなったときに、父が軍隊で微分積分学を学んでいた教科書を破って貼ったそうです。
最初は数学記号を理解できなかったものの、成長するにつれて記号の意味を理解し始めます。
叔父がアマチュア数学者だったので、その影響もあったようです。
しかし、当時はどんなに頭が良くても女性は大学に入れなかったため、父はソーニャの勉強を止めてしまいます。
それでもソーニャは家族が寝静まった後、借りてきた本を読んで勉強していたそうです。
ソーニャが12歳になる時、物理学の先生が光学の本を見せてくれました。
三角関数を知らなかった彼女ですが、自力で解読しようとします。
驚いた先生は「パスカルの再来」と褒め、ソーニャの父を説き伏せ、ソーニャは勉強を続けられるようになりました。
どうしても数学を勉強したくて
1868年、ソーニャは偽装結婚をします。
当時のロシアでは女性は高等教育が受けられませんでした。
19世紀、女性の人生は結婚・出産・子育てと言われていた時代です。
そんな中、どうしても留学をしたいソーニャは愛の無い結婚をします。
夫となるウラジーミル・オヌーフリエヴィチ・コワレフスキーの援助を受けて、海外へ飛び立ちました。
ドイツのハイデルベルク大学は女性の入学を認めていなかったのですが、特別受講生として学びます。
3年間優秀な成績をおさめ、1871年にはベルリン大学へ向かいます。
そこで、カール・ワイエルシュトラス教授はソーニャに諦めさせようとして難題を吹っかけます。
ソーニャがいとも簡単に解いてしまうものですから、ワイエルシュトラス教授もその才能を認め、個人的に指導・協力するようになりました。
定理を発表するも
大学で物理学・数学を専攻すると必ず出てくる「コーシー=コワレフスカヤの定理」。
これは1874年、ソーニャが24歳頃に研究していた内容です。
偏微分方程式の解の存在と一意性についての基礎定理で、現在のテキストにも載っています。
フランスの数学者コーシーが示した定理についてソーニャが証明をしました。
詳細はゲッティンゲン大学に提出した論文「偏微分方程式についての理論」や数学誌クレレ誌に書かれており、この功績から数学の学位が与えられます。
しかしソーニャは数学界では名が通っていたものの、女性という理由で大学教授の職は得られませんでした。
初めての女性教授へ
ソーニャは数学でまともな仕事に就けないことを知るや、文学を始めたり社交界デビューしたりします。
そのチャーミングな内面や華やかな外見によってかなり注目されたそうです。
一時期数学から離れていたものの、再び数学への熱を思い出します。
光の屈折に関する研究を始め、3本の論文を公開しました。
1884年にはミッタク=レフラー(ソーニャと同じ、カール・ワイエルシュトラス教授の弟子)の協力を得て、ストックホルム大学の非常勤講師となります。
そうしてアーベル関数についての論文『固定点をめぐる剛体の回転について』を発表。
素晴らしい功績から、パリの科学アカデミーボルダン賞やスウェーデン科学アカデミー賞を受賞します。
1889年、ソーニャはロシア人女性として初めての大学教授へと登りつめたのです。
ノーベル賞に数学部門が無い理由
ノーベル賞に数学部門が無い理由にはソーニャが絡んでいるという噂を知っていますか?
先程軽く触れましたが、ソーニャはとても美しい人だったようです。
頭脳と美貌を併せ持っていたため、さまざまな男性に言い寄られていました。
その中には、あのアルフレッド・ノーベルもいました。
そうです、ノーベル賞の創設者です。
ノーベルはソーニャに振られてしまい、数学者ミッタク=レフラーに嫉妬します。
もしもノーベル賞に数学部門を設けた場合、「ミッタク=レフラーが受賞するかもしれない」と考えました。
ノーベルが数学賞を作らなかったのは、「ソーニャと仲が良かった数学者に賞をあげたくなかった」という、かなり個人的な事情だったんですね。
まとめ
女性数学者ソフィア・ヴァシーリエヴナ・コワレフスカ(ソーニャ)について紹介しました。
子どもの頃から数学に触れ、12歳には「パスカルの再来」と呼ばれていました。
19世紀当時は女性が数学を研究するなんてもってのほか。
それでも諦められなかったソーニャは偽装結婚を企み、ドイツへ留学します。
「女性だから」正式に入学できなかったり、満足な仕事に就けなかったりと苦労しましたが、結果的に功績を認められて大学教授の地位を獲得しました。
困難な状況でも自分の好きなことに熱中していれば、ソーニャのように分かってもらえる日が来るのかもしれませんね。
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