【グリゴリー・ペレルマン】1億円を拒否した数学者

「あなたに1億円あげます。」と言われたら、どうしますか?

普通は喜んで受け取りますよね。

ですが驚くことに、1億円(100万ドル)もフィールズ賞も拒否した人がいます。

彼の名前はグリゴリー・ヤコヴレヴィチ・ペレルマン。

難問「ポアンカレ予想」を証明した数学者です。

ペレルマンは、なぜお金も名誉も受け取らなかったのでしょうか?

この記事ではペレルマンの半生を振り返り、人物像に迫ってみます。

16歳で数学オリンピック優勝

ペレルマンは1966年、ロシア・レニングラード(サンクトペテルブルク)にて生まれます。

父親は電気技術者、母親は数学者でした。

両親から受け継いだ頭脳と教育方針が良かったのか、幼い頃から数学に興味を持ち始めます。

(※のちに妹も数学者となります。)

10歳ころには数学教育プログラムに参加し、14歳には数学クラブのトップに躍り出ます。

1982年、国際数学オリンピックに出場したところ、なんと全問正解(満点)で金メダルを獲得します。

16歳という当時の最年少出場記録でもあり、まわりを驚かせました。

(※ちなみに国際物理オリンピックも開催されていたのですが、もし参加していればこちらでも金メダルだったのではないかと噂されています。)

ペレルマンは16歳にして、大人を負かすほど才能を開花させていたのです。

ソウル予想を5ページで解決

ペレルマンは16歳でサンクトペテルブルク大学へ入学します。

国際数学オリンピック金メダルという功績から入試を免除されたそうです。

その後、幾何学コースへ進み、カンジダート(博士号)を取得しました。

大学を卒業してからは、1992年からニューヨーク州立大学ストーニーブルック校やカリフォルニア大学バークレー校で研究を行います。

この時代に、「ソウル予想」と呼ばれる未解決問題を証明します。

超難問でありながら、ペレルマンの証明論文はたった5ページという非常に簡潔なものでした。

数学界で脚光を浴び、さまざまな仕事のオファーが来るも拒否、1995年にはロシアに帰国します。

この頃から注目されることをペレルマンは嫌がっていたようですね。

1億円もフィールズ賞も辞退

ペレルマンはロシアのサンクトペテルブルグに戻り、ステクロフ数学研究所に入所します。

ほかの数学者とも連絡を取らず、基本的に一人で研究を続けていました。

そして2002年、未解決問題「ポアンカレ予想」の証明を完成させます。

論文はインターネットの論文サイト「arXiv」に公開します。

アプローチ方法はこれまで使われてきたトポロジーではなく微分幾何学を使っていたこと、そしてその証明内容が理解できないことから、他の数学者は二重で驚いたそうです。

「ポアンカレ予想」はミレニアム懸賞問題のひとつで、解決した者には1億円(100万ドル)が渡されるとして有名でした。

しかし、授賞式には姿を見せず、賞金の受け取りを辞退。

加えて、「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞を受賞するも辞退。

ペレルマンは「証明が正しければ賞は必要ない」「評価が不公平」などの旨を主張していました。

ヨーロッパ数学会賞(1996年)受賞も辞退していることから、「賞に興味を持っていない」「数学界への不信感や不満があった」などの理由と考えられます。

ペレルマンは、数学者なら喉から手が出るほど欲しい、1億円もフィールズ賞も受け取らなかったのです。

ひっそりと生きる天才

「ポアンカレ予想」を解決したあと、ペレルマンは数学界から姿を消します。

それまでは人懐っこい性格だったらしいのですが、人目を避けるようになりました。

一時期はサンクトペテルブルグの母のところに滞在、近年はスウェーデンの妹夫婦と一緒に暮らしています。

研究所には所属せず、年金と貯金で生活しているそうです。

2007年にはNHKにて「100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪(しっそう)の謎~」が公開されました。

その番組によると、趣味は「キノコ狩り」とのこと。

残念ながら、他に詳しい情報は入っていません。

もしかしたら、「ポアンカレ予想」と同様、まわりに知られないようにして難問を研究しているのかもしれません。

まとめ

1億円(100万ドル)もフィールズ賞も手にできる才能がありながら、どちらも「要らない」と言った数学者。

奇人変人のグリゴリー・ヤコヴレヴィチ・ペレルマンについて紹介しました。

  • 16歳で国際数学オリンピック出場・金メダルを獲得
  • 「ソウル予想」を5ページで解決
  • 「ポアンカレ予想」を一人で証明

このように輝かしい成績を残すも、お金や賞・名誉などには興味を持ちませんでした

理由は「数学界にあまり良くない印象を持っていた」からかとも言われていますが、ただ「数学が好き」だっただけなのかもしれません。

もしも「好きなことをやっているだけなのに、まわりが騒いでいる」と感じていたとしたら、数学界から離れたくなる気持ちも分かりますね。

現在ペレルマンはスウェーデンにて隠れるようにして生きていますが、公表していないだけで数学の難問に取り掛かっている可能性も高いでしょう。

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