今回は、アンドリュー・ワイルズについてご紹介します。
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アンドリュー・ワイルズ
<受賞歴>
1988年 ホワイトヘッド賞
1995年 ショック賞
1995年 オストロフスキー賞
1995年 フェルマー数学賞
1996年 コール賞数論部門
1996年 ウルフ賞数学部門
1997年 ヴォルフスケール賞
1998年 フィールズ賞特別賞
1998年 キング・ファイサル国際賞科学部門
2005年 ショウ賞数理科学部門
2016年 アーベル賞
現代でもかなりの賞を受賞しており、その実力は明らかです。
フェルマーの最終定理とは、
というものです。
式自体はとてもシンプルなのですが、ガウスやオイラーといった天才数学者たちが破れて行った公式でもあります。フェルマーの最終定理は現代数学でも注目されているもののひとつでした。
10歳でフェルマーの最終定理に出会う
しかし、周りの大人たちはフェルマーの最終定理を証明しようとするワイルズを止めました。数学者として名を上げるには、成果を出さなければいけない。フェルマーの最終定理に挑んできた数学者たちが、その長い人生を無駄にしてしまったことを知っている大人たちは、止めたのです。
ワイルズは人生をかけてフェルマーの最終定理を解き明かしたいと考えていましたが、大人たちの反対もあって一度は諦めます。そして、大学では楕円曲線を専攻。すると、楕円曲線はフェルマーの最終定理との関わりが大きい分野だった。ワイルズは、もう一度フェルマーの最終定理について証明を行おうと決意したのです。
1993年にフェルマーの最終定理を証明
そのきっかけとなったのが、「フライの楕円曲線」です。もし、フェルマーの最終定理が成り立たない反例であるフライの楕円曲線がこの世にないことがわかれば、背理法的にフェルマーの最終定理が証明できるというものです。日本の谷山・志村予想と呼ばれる「フライの楕円曲線は存在しない」という予想を知り、それを証明する形でフェルマーの最終定理を解き明かしたのです。
ワイルズは自分の人生をかけて難問に挑んだのではなく、幼い日に憧れた問題が、自分の専門である楕円曲線によって証明することが出来ると知り、7年かけて証明に挑んだのです。もちろん、フライの楕円曲線を考えたケン・リベットという数学者や、日本の谷山・志村予想があったからこそ証明できたとも言えます。
証明後、誤りが見つかる
しかし、残念なことに1993年、同じ年にワイルズの証明に誤りが見つかってしまいます。そこから約1年コリヴァギン・フラッハ法の修正に取り掛かります。しかし、大学教授の傍らで一人で証明していくのは難しく、リチャード・テイラーと組んで二人がかりで証明を行っていました。
1994年の夏、ワイルズは証明の修正が行き詰っていて、証明を諦めかけていました。
そんな彼を励ましたのが、テイラーでした。『2学期が始まるまであと1ヶ月ある。9月の終わりまでに修正できなければ欠陥のある証明だったを認めましょう。それまでは、諦めず一緒に頑張りましょう』と、彼を励ましました。
最終的に、ワイルズは証明の修正を行うことが出来ました。秋になる前に日本人・岩澤理論を用いることでコリヴァギン・フラッハ法の証明修正が完了したのです。7年と修正にかけた1年。ワイルズは8年という長い歳月で、ようやくフェルマーの最終定理を証明しきったのです。
その陰には、リチャード・テイラーのサポートと励まし、そして志村・谷山予想、岩澤理論という日本人数学者の理論や予想があったからです。数学史では多くの数学者が残したものを積み上げて、新たな発見や証明が行われます。
ワイルズは360年間数学者を悩ませた問題を解ききった現代の天才数学者ということです。
まとめ
彼のフェルマーの最終定理との出会いと、再会は、どこかドラマのような運命を感じますよね。彼は生まれながらにして数学者であり、自分の人生をかけて難問を解き明かすことを実現しました。
現在も大学教授として多くの数学者に教えていますが、彼のような熱意を持った数学者が、まだ解き明かされていない難問を解いていくのかと思うと、それも楽しみですね。
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