映画『奇蹟がくれた数式』の主人公となったのは20世紀の天才数学者です。
彼の名はシュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャン(Srinivasa Aiyangar Ramanujan)。
きちんとした教育を受けておらず独学で数学を極め、「インドの魔術師」「無限の天才」と呼ばれていました。
さらには「あのアインシュタインを超える天才」とも噂されました。
今回はそんなラマヌジャンの生い立ちやエピソードについて紹介します。
直感力に優れた異才ラマヌジャンの人生を覗いてみましょう。
数学に熱中しすぎて退学
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1887年、ラマヌジャンは南インドの貧しい家庭に生まれます。
母親の影響が強く、敬虔なヒンドゥー教徒でした。
小さな頃から数学に興味を持ち、図書館で本を借りては知識を吸収していたそうです。
15歳の時、ラマヌジャンはある本に出会います。
その本とはジョージ・カー著の『純粋数学要覧』、イギリスの古い受験参考公式集です。
豊富な公式が載っているこの本にラマヌジャンは熱中。
問題を次々と解読し、さらには自分で問題を作り始める始末です。
数学に時間を取られるあまり、学校の勉強はおろそかになります。
どんどん成績を落とした結果奨学金を打ち切られてしまい、大学を退学になります。
ラマヌジャンはこの経歴を気にしていたようですが、本人としても自制できなかったとのことです。
理解者ハーディ現る
ラマヌジャンは大学を追われた後もただ一人で数学を研究し続けます。
というのも、彼の突拍子のない考え方に誰もついていけなかったからです。
周囲に理解者がいないため、ラマヌジャンは研究成果をイギリスの教授数名に送ります。
ほとんどが無視していたのですが、ケンブリッジ大学のゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ がラマヌジャンの才能に気付きます。
手紙の内容は120程度の数学公式が記されていて、彼自身も最初はいたずらかと考えました。
しかし共同研究者リトルウッド(Littlewood)と議論した末、これは本物の天才だと結論づけます。
手の込んだ公式を作り出すよりも、数学者になるほうが簡単だからです。
ハーディはすぐさまラマヌジャンに返事を出し、大学へと誘います。
奇才ラマヌジャンを認める人がようやく現れたのです。
しかし当時、国(インド)を離れることは戒律によって禁止されていました。
このピンチを救ったのは敬虔なる母親です。
母親の夢にヒンドゥー教の女神ナマギーリが現れ、渡英の許可がおります。
ラマヌジャンは1914年にイギリスへと渡ります。
証明を知らない天才ラマヌジャン
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イギリス・ケンブリッジ大学の数学者にとって、ラマヌジャンは不思議な存在でした。
驚くべきことに、ラマヌジャンは自分の公式を証明できなかったのです。
研究成果は論理ではなく直感にもとづくものでした。
この時さまざまな定理を発見していたのですが、その理由は「女神が教えてくれたから」と言っていたそうです。
ハーディはラマヌジャンの勢いを消さぬよう、「証明は最低限とし、これまで同様に定理の発見に力を注ぐように」とアドバイスします。
そのおかげか、約6年間で30もの論文が生み出されました。
有名なのは円周率に関する公式や、1916年に提出されたラマヌジャン予想(リーマン予想と似たもの)です。
ラマヌジャンの発見した公式が多すぎて、ハーディの証明が追いつかなかったほどです。
さまざまな数学者の協力を得ましたが、当時の数学の水準では説明がつかないと難航していました。
証明の作業が完了したのは1997年。
全文が出版完了したのは死から約100年経った2018年です。
ラマヌジャンの素晴らしい発想力から「無限の天才」とも呼ばれました。
ひらめいた「タクシー数」
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ラマヌジャンがイギリスに着いてすぐ、第一次世界大戦が始まります。
戦争中ということもあり、ヒンドゥー教であり菜食主義者だった彼は食料の調達に苦労しました。
また、あたたかいインドで育った体には冷えたイギリスの空気は向かなかったのでしょう。
病魔に襲われてしまい、療養所に入ります。
ここで「タクシー数」に関するエピソードを紹介しましょう。
お見舞いに来たハーディは寝込んでいたラマヌジャンにこう伝えます。
「タクシーのナンバープレートは1729、なんとつまらない数字だろう。」
するとラマヌジャンはすぐさま答えます。
「そんなことはありませんよ。1729は2つの立方数の和として、2通りに表せる最小の自然数です。」
実際に、以下のように表すことができます。
1729 = 123 + 13 = 103 + 93
数学者ハーディでさえも気付かなかった共通点を、独特の思考プロセスで解きました。
病床におても想像力は衰えていなかったようですね。
ちなみにラマヌジャンはあのアインシュタインさえ超える天才だとも評されています。
アインシュタインの特殊相対性理論はアインシュタインがいなくても誰かが発見しただろうと考えられます。
しかし、ラマヌジャンの公式については必然性が見えません。
つまりは「彼がいなければ百年後の今ですら発見されていない可能性がある」と言えるのです。
アインシュタイン以上の天才ラマヌジャンはその後インドに帰り、32歳という若さでこの世を去ります。
ハーディの数学者ランク付け
ラマヌジャンを高く評価していたハーディは数学者をランク付けしていました。
ハーディ自身は25点、リトルウッドが30点、ヒルベルトは30点、そしてラマヌジャンは100点満点です。
自分が25点とは、「なんて謙遜しているんだろう」と思うかもしれません。
実はハーディも優れた数学者で、特に解析的整数論への影響を与えました。
ただ、ほとんどの数学者は点数すらつけられず、歴史に名の残る数学者のみを挙げていました。
ハーディがラマヌジャンを心底尊敬していたことが分かりますね。
映画『奇蹟がくれた数式』
2015年、ラマヌジャンの短くも濃い一生が映画化されました。
ラマヌジャンの才能やハーディとの関係性をメインにした内容です。
『スラムドッグ$ミリオネア』のデヴ・パテルがラマヌジャンを、『運命の逆転』のジェレミー・アイアンズがハーディを演じています。
数学者をテーマにした映画は他にも『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』・『ビューティフル・マインド』・『博士と彼女のセオリー』などがあります。
数ある映画の中でも『奇蹟がくれた数式』は口コミ・評価が良いです。
数学に興味を持っている方ならラマヌジャンのドラマチックな人生を楽しめるでしょう。
ちなみに、Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグはこの映画に対して、「インターネットがない時代に、ラマヌジャンはたった一冊のノートで世界を変えたんだ。」という賛辞の言葉を添えました。
20世紀の天才数学者ラマヌジャンを映像にて振り返ってみてはいかがでしょうか?
まとめ
インド生まれの数学者シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャンについてまとめました。
15歳で書籍『純粋数学要覧』を見つけたことで、彼は数学界へと導かれます。
きちんとした数学を学んでいないにもかかわらず、独特な発想力によって公式を次々生み出します。
発見したのはヒンドゥー教女神ナマギーリのおかげだと言い、論理的な証明はできませんでした。
そんな中、彼の証明を助けたのがケンブリッジ大学のゴッドフレイ・ハロルド・ハーディです。
ラマヌジャンはハーディの支えもあって、独自路線を進み、「タクシー数」や円周率に関する公式、ラマヌジャン予想などを発見します。
32歳という短い人生は映画『奇蹟がくれた数式』でも確認できるのでぜひチェックしてみてください。
ラマヌジャンのひらめきとまわりのサポートが数学界を発展させてきたことが理解できるでしょう。
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